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先生、子供に学校を休ませてもいいですか? [心の風景]

2度目の緊急事態宣言が出たものの、

すぐに収束するような気配は見えないし。

医療関係者は、とても大変そうだ。


そんな不安が続く中で、

コロナ患者に対する「トリアージ」が提案されている

と、報道で知った。


「トリアージ」とは、

軽傷の患者や助かる見込みのない患者よりも、

処置すれば助かる見込みのある患者を優先するものだ。

その結果、平時なら助かった人が、死ぬ場合もある。


「命の選択」などと書かれていたりもする。


昨年の春頃、イタリアでは、

「80才以上の高齢者に対する治療を断念した」

というニュースを聞いたように思う。


誰かの「死」と引き換えに

自分の命を、つなぎとめる、というのは

あまりにも、重くてしんどい。


子供は感染しにくいし、重症化しにくいと聞く。


でも、もしも感染して、運悪く重症化して

トリアージの対象となり、

誰かの命と引き換えに、助けてもらったら、、

と思うと、息が止まりそうになる。


子供たちが、苦しい思いをして亡くなるのは

もちろん、考えられない。


でも、そんな風に助けてもらったとしても、

引き換えに亡くなってしまう誰かの命の重さに

十分に値するくらいにまで、

子供たちを社会で十分役立つように

私が、育て上げることができるだろうか。


「人は、別に、誰かの役に立たなくても

生きているだけで価値がある」


子供たちに障害があるとわかってから、

そんなことを、時折、言われることがある。


でも、命の選別が行われる際においても、

自分が、誰かと引き換えに死ぬことになっても

そう言える人は、どのくらいいるのだろう。


子供たちの障害は、子供たちの責任ではない。


そんな事態になるくらいなら、

知らない誰かではなく、私の命と引きかえにして

子供たちを助けてもらえないかと思うくらい

ものすごく、気が重くなる。


ただ、もしも、そうやって私が死んでしまったら、

子供たちは、一体どうなってしまうんだろうか。


けれど、そんなどうしようもないことを

いつまでも、ウツウツと考えるより、

子供たちが感染しないようにするべきだろう、、。


だから、重傷者数が、もっどもっと減るまで、

少し学校をお休みさせてみようかな、と思うのだけど、

こんな理由で休ませるのは、だめだろうか。


道徳の時間とか、いわゆる読書とかで、

こんなに苦しい思いで考えたこなかったな、と思う。

そういう意味では、子供たちの存在は、

私の心の経験値を高めて、少し成長させてくれた。


でもやっぱり、ちょっとしんどくて、とてもカナシイ。


     

   


   


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