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壊されていく自分を見つめる(5) [自分のために]

U一郎とO次郎の問題行動が、大きくなるにつれ、

私の毎日も、私自身も、以前とは全く変わった。


多少、療育を続けていたり、病院には行っているけれど、

たぶん、子供たちが、普通に就職したり結婚したり、、

そんなことは、もうないだろう、と思っている。


死ぬまでに、1人で、或いは主人と、

1拍2日の国内旅行を、安心して楽しめる日がくるかどうか

そんなところかもしれない。


子供たちは、主人の葬儀も、私の葬儀もできないだろう。

自分の親族の子供などに頼むのは、とても気が引ける。


だから、主人も私も、どこかで永代供養にと思っていて、

全ての手続きを、なるべく早めに依頼するつもりだ。


少しずつ、いろいろと調べ始めてみると、

私達夫婦とは異なり、本当に人それぞれの事情で、

若くても、人生の最期を考えている人達もいた。


自分達だけが、同情され過ぎることはなさそう、

と、思うことができて、少しほっとした。


障害のある子供を持つお母さんの中には、

「ネットで自分の棺おけを探している」方もいて、

今は、いろいろな選択が可能な時代だと、改めて思う。


ちなみに、その方に見せてもらった棺おけは、

ネット上の写真で見た感じでは、

すっきりした美しいピンク色で、デザインも華やかだったので

「これ、きれいだねー」なんて皆で盛り上がってしまった。


それでも、気がかりなのは

子供たちの人生後半の暮らしと、最期。

やっぱり、子供達より私の方が先に死ぬだろうから。


でも、こんなに死ぬことばかり考えたり準備していると、

「子供達が、社会に普通に参加できる」ように育てることなんて

ちっぽけで、どうでもよいように思えたりもする。


最近は、その時の自分の気分次第で、

右へ左へと、大きく正反対に考えが揺れることがある。


もう、自分が今までの自分ではなく、

どこかが、少し壊れているような気がするから

ちょっとした勢いや、その時の気分で、

何かを決めたり、動かしたりしないように

気を付けないといけない、と思う。


私は、高齢者には まだほど遠い年齢なのに

自分の人生のピークは、もうとっくに過ぎ去っていて

おしまいに向かって、片付けながら歩いているのを感じる。

  

自分が、ただ壊されていくだけではなくて

私は、自分から望んで、壊れていっているのかもしれない。


       

  



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