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母親としてのうしろめたさ [教訓の泉]

最近の私は、思うところがあって、

医療や療育などに、過剰に期待するのはやめて

今後は、自分を頼りに進もうと思い始めていた。


今までとは違う、その気持ちは、

自然に、自分の言葉や行動に現れた。


いつの頃からか、私は 子供の後始末に追われ、

探しモノ、修理、そして膨大な掃除、洗濯と料理で

毎日が手一杯で、いつも小言を繰り返していた。


これでは、永遠にどうにもならないと思い始め、

子供に、モノを壊されたり、失くされたりする前に、

私から、強引に2人に関わっていくようにした。



以前、子供達といる時間は、なぜか苦痛で

寄ってこられると、なぜか家事を始めたくなり、

時々、物理的に、子供と距離を置こうしがちだった。


でも、今は、目的があるせいか、

自分から子供に寄っていくことができる。


そして、昨日、U一郎を軽く抱きしめながら、

ベランダのある窓から、沈む夕陽をしばらく眺めた。


なんとなく、いつもと様子が違うU一郎を見ると、

妙になまめかしく、うっとりした顔で私をみつめ、

なんと「ママ、大好き・・」と言った!


その言葉は、U一郎からは、初めて聞く言葉だった。


どこで覚えたんだろう?

意味わかってるのかな?

このあと、どうしよう?


頭の中がフル回転しながら、なぜか動揺しまくり、

私は、母親として、とても後ろめたい気持ちになった。


そしてその後、私は、

U一郎をちゃんと愛してこなかったことを自覚した。


どうしようもないU一郎に、本当に疲れ果てて

育児や家事が大変だといっては、療育に頼り

子供を愛することから逃げていたんだと思う。


その日、U一郎は、

相変わらず、モノをどこかへ隠したり壊したりしたが

夜寝るまで、激しい奇声を響かせることはなく、

なんとなく、やわらかい優しい顔をしていた、



U一郎を、可愛いし、かわいそう、とも思っているけど

健やかなるときも、病める時も、常に一緒に、、とか

そういうのは、無理無理、絶対無理。


でも、自閉症で他人と関わらないU一郎にとって、

母親の存在や、母親に求める役割は、

普通の子供よりも 大きくて重いのかもしれない。


私が、もう少し母親としての役割をこなせれば

U一郎の毎日も、私の毎日も、

もう少し違ったものになるかもしれない。


ただ、私が努力したところで、できるのかな。

どうしたら、懐の深い母親になれるのかな。


U一郎はね。

生まれてくる場所を間違えてるよ。

  

 

  


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あの時の理由を知ることで [教訓の泉]

異なる時期に生まれたU一郎とO次郎なのに、

2人とも同じことで、問題を起こすことがある。


その一つが、おむつ替えだった。


小さい頃、U一郎とO次郎は、

おむつ替えの時に、どちらも本当によく泣いた。


その泣き方は、普通の泣き方ではなく、

近くにいる人達が、みな一斉に振り返ったり、

「どうして、こんなに泣いているんですか?」と

知らない人に、怪しまれたりした。。


また、泣いている子供のそばに、いろいろな人がやってきては、

歌を歌ってくれたり、笑ってあやしてくれることもあったが、

どれもこれも、逆効果だった。


子供たちは、火災報知器のようにもっと激しく泣き出し、

結局、泣きやまそうとしてくれた人が

私の育て方に問題があるような言い方をして立ち去ったりして。


私は、時々、体にじんましんが出てしまうようになった。


今でも、その時のことを思い出すと、

体に違和感を感じたり、数十秒くらいの軽い耳なりがしたりする。


O次郎が、「オムツのCM」を見ながら踊っていた時に、

返事を期待する気もなく、ため息まじりにつぶやいた。

「O次郎は、おむつ替えで、どうしてあんなに泣いていたのかな」


すると、O次郎は、ちょっと笑いながら、あっさり言った。

「それはねー、おむつをベリベリッって剥がす時の音が怖かったんだよ。」

「あとねぇ。ビリビリッて破く音もして、皮膚が破られそうな気がしたんだ。」

「アー、あれホント怖かったなー。」



私にとっては、何もかもが衝撃的で、

しばらく座ったまま、立ち上がることもできなかった。


今、ものすごく悩んでいることや困っていることも

いつか、もしもその理由が分かったなら、

こんな風に、気が抜けるくらい安堵できるのかもしれない。


言葉が話せることや気持ちが伝えられることって

ものすごく重要に感じた。



今日は、久しぶりに、深く眠れそうな気がする。 


     


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療育に通った結果、思うこと。 [教訓の泉]

U一郎とO次郎は、小さい頃から

児童発達支援サービスや放課後等デイサービスに通い、

個別療育や集団療育をずい分受けてきた。


「お母さんが療育すると、子供が休む場所がないから、家で療育はしないで。」

「私達は、専門知識を持ったプロだから、信じて預けて」


療育のスタッフに何度もさとされ、

出産から出生後の発育状況、家族や夫婦関係、仕事内容まで

ことあるごとに、細かく質問されたあげく、

療育の支援計画や、療育での指導内容は、

私の要望よりも、ほぼ施設側の言うとおりに、進めてきた。


そして、ここまで来た結果、思うこと。

「療育なんて、行かなくても良かったのかも」


オムツ外しにしろ、着席にしろ

「どの子供にも、できるようになる時期」があり、

たぶん育児をしている親なら、それがわかると思う。


もちろん、療育で教えれば、多少時期が早まったり

スムーズにできるようになるかもしれない。

でも、少なくとも、私の子供たちに関しては

療育に通った甲斐があったとは、あまり思えない。


療育にかけたお金や時間や手間を

他のものにかけたら、どうだっただろうと

残念に思うし、少し後悔している。


でも、もう仕方がない。時間は戻らない。


だから、新年から、私が家で教えることにした。


そんなの、どうせダメかもしれないけど、

気を遣いながら療育に通うより、精神的にもマシ。


放課後等デイサービスは、

コロナが収束したら、遊びメインのところに移り、

子供たちに、外で楽しんできてもらおう。


2021年は、もう少しまともな生活がしたい。





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放課後デイサービスで折れない心を育てる [教訓の泉]

U一郎とO次郎が通っている放課後デイサービスでは、

どこも、スタッフが退職などでよく変わるし、

そもそも毎回固定して担当するスタッフはいない。


どの施設でも言われる理由は、だいたい、これ。

「スタッフは全員、高度なトレーニングを受けたプロだから、どのスタッフでも同じ。」


別に、もう驚くこともない。



U一郎が、左手で、ハサミや鉛筆を使おうとするようになったので、

先日、放課後デイサービスにその話をしてみると、

「引継ぎの資料では、左利きとなっていたので」と回答。


この春から、左で練習してくれていたそうである。


一応、引継ぎ資料とやらを確認してもらったが、

どうも、人違いか誤解だったもよう。


どうして「U一郎は、右利きだよ。」と先生に言わなかったのか

O次郎にたずねてみると

「だって、面白いんだモーン。U一郎、ずっと2ピースの型はめやらされてるよー。アハハハハ、バーカバーカ、U一朗のバーカ。」

と言って、U一郎の奇妙な歩き方をマネしてみせた。


いくらU一郎でも、2ピースでは、つまらなくて何もしないだろう。

U一郎が、放課後デイサービスを嫌がるようになったわけがわかり、

いろいろと収穫のある出来事ではあったが、やっぱり疲れた。


別に、子供たちが、危険な目にあったわけではない。

この子達の行く先々では、こういう場所が多いわけだし、

子供自身で何も言えないから、こういうことが起こるわけで、

それが嫌なら、やめるか、できる限り対策を打つしかない。


でも、つらい気持ちを経験するのは、きっと無駄にはならない。

いつか、もっとしんどいことに 向き合う日のために、

折れない心を育てていくのは、絶対に必要だと思うから。



      


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O次郎の学習サポート時、U一郎の攻撃を避けるための対策 [教訓の泉]

O次郎には、まだまだ学習のサポートが必要。


けれど O次郎をかまっていると

U一郎が怒りだし、O次郎に飛び掛かることが多く、

学習どころではなくなってしまう。


O次郎の学習サポートをする場合には、

先に 何らかの形でU一郎と関わり、

満足感を与えてからにしてはどうだろう?


簡単なものとしては

本の読み聞かせ、音読、一緒に歌を歌うとか

そんな程度しか、まだ思いつかないけど。 





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