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私がなくなった母親。 [カナシミ]

O次郎は、時々、するどい質問をする。


「ママは、何して遊ぶのが好きなの?」

「ママは、本当は、どんな服が好き?」


どちらも、答えることができない。

好きなものとか、したいこととか、

もう、何もなくなくて、思いつかないから。



子供たち、2人ともに、障害があることがわかり、

その障害が、日常生活の流れを乱すようになってから、

私は、今までの私を、見失った。


子供たちは、毎日、モノを壊し、唾を吐き、

ケンカをして、奇声をあげて、走り回る。

他の子供が自然に覚えてできるようになることが

何度やっても覚えられず、できないことも多い。



私は、大量の洗濯と、膨大な片付けと掃除で

一年中、追われ続け、終わりは見えない。

子供たちのことで、よく、誰かに何かを謝って

解決できそうもない心配を、常に抱えている。


いつの間にか、私が身につけるものは、色を失くし、

いつも、汚れが目立たないものを選ぶようになった。


いつでも、美容院に行けるわけではないので、

髪は、家で、自分でカットして、

オールバックで後ろで一つにまとめるようになった。


不器用で、上手に食べられない子供達の食事の介助のため、

私は、食事を作っている時に、立って食べてしまうか、

もう食べないまま、過ごすようになった。

そのおかげで、今、人生で一番スリムだけど。


そして、スマホの検索は、子供のことばかり。



好きだった音楽や好きだった映画は、何だっけ。

どこのお店の服を、よく買いに行っていたっけ。

最後に、1人でふらっと出かけたのは、いつだっけ。





私は、自分の親に、名前をつけてもらって

1人の人間として、育ててもらったけれども、

その名前は、もう、誰かと分別するための

ただの記号にすぎなくなっている気がする。


こんなお母さん、嫌だよね。

ごめんね。こんなことになって。 

 

ごめんね、U一郎。ごめんね、O次郎。


  

  







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さようなら、みんな。ありがとう。 [カナシミ]

コロナ禍での、初めての年賀状。


年末に書いていた時、

相手の状況を想像して、どう書いたらよいのか、

いろいろ 考える機会があった。


その時、思いついたことがある。


最近は、とても高齢の上司や先生などが、

「年もとってきたため、年賀状はこれで失礼します」

と書かれた賀状もあったので、

「私も、この年賀状で、みんなとさよならしよう」

と、ひらめいたのだった。


子供たちの障害のことは、友人や知人に全く話していない。

「どうしようかな、なんて言おうかな」と思う中で

同窓会や、家族連れでの食事会などが、

昔の仲良しメンバーもいる様子で開かれていた。


どれに参加するにしても、

「みんなに、気を遣わせてしまうかな」、とか

「向こうも、きっと困るだろうな」、とか

あれこれ考えるだけでなく、

実際問題、U一郎とO次郎を連れて行くことは

ほとんど 不可能に近い状態だった。


だから、いつもいつも、

「子育て中で、忙しい」、とか

「仕事がある」、とか

ちょっとごまかして、スルーしていた。


でも、「それって、いつまで続けるのかな」って

ずっと、なんか気にかかっていて

そういうのも、なんだか嫌になっていた。


そこで、今回の年賀状には、

とても親しかった相手だけ、子供の事情を簡単に説明した。

そして、それ以外の人には、「一身上の都合」と書いて、

全員に、今までのお付き合いにお礼をして、

今後は、静かに自分達の生活に入ることを書いた。

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お正月を迎え、驚いてメールや電話をくれた人もいる。


「何かできることがあったら、力になる」と

言ってくれたすごい人もいた。

  

でも、皆に、しばらく静かに過ごしたいことを伝え、

これから先、もう 約束をして会うつもりはないことを、謝った。


仲の良かった友達が、電話口で泣き始め、

なんだかよくわからないままに、私も泣いてしまった。


幸せで楽しかった時間を 思い出した。

そして、U一郎とO次郎には、

そんな思い出は、きっと、できないだろうことを

本当に とてもカナシイと 思った。


その後、携帯電話の番号とメールアドレスを変更した。

これは、思ったよりも、大変で面倒な作業だったけれども、

想像していた以上に、気持ちがすっきりして落ち着いた。


想い出は、想い出のまま、ずっときれいに残したい。

そして、私は、もっとU一郎とO次郎に向き合って、

人生の最期に向かって、しっかりしないといけない。


楽しかった。ありがとう。元気でいてね。                

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私が深める私のカナシミ [カナシミ]

子供たちに、発達障害や知的障害があるため、

医療や福祉関係の施設などに 通うことが、多い。


そこは、普通の子供たちは、

一生行くことのない場所だろうし

そこが 一体どんなところなのか、

大人ですら 知らない人が多いだろう。


私の子供たちに 問題が多いせいなのか

それとも、やっぱり運が悪いのか

溜息を押し殺して過ごすことは、少なくない。


だから、他の障害のある子供を持つお母さんと

お互いに、たまった愚痴を聞きあうことがある。


ある時、その中の一人のお母さんに言われた。

「でも、A国なんて時間は守らないのが普通だし、B国なんて、嘘つきがいっぱい。」

「だから、それに比べれば、予約の時間は守られるし、一見まともにやっているんだから、全然まし。」

「こっちも、適当にやってればいいのよ!」


このお母さんは、海外経験の豊富な方で、

合理的に物事を考える 明るい方だ。

あまり お会いする機会はないけれど、

お話しすると、少し気持ちを浮上させてくれる。


私のカナシミの深さは

私のせいも 多分にあるのかもしれない。


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どうしてこんなに運が悪いのか [カナシミ]

私の子供たちは、とても運が悪い、


これまで、小児神経科や児童精神科などで

さまざまなお医者さんに会ってきた。


でも、子供たちの障害の原因や治療に

向き合ってくれる人には、出会わなかった。


「障害は、病気じゃないから、治らない。」

「原因不明だし、あまりできることはない。」

「学校や家庭で大変なら、薬を出せるよ。」

「あとは、自治体の福祉や療育で相談してみて。」


こんな言葉を、何度も聞かされるたびに、思った。


「お医者さんって、治療したり回復させたりする人じゃないの?」

「原因を突き止めたい、僕が治したいとは思わないの?」

「どうして、お医者さんになったの?」

「どうして内科とか外科じゃなくて、この科を選んだの?」


でも、もちろん聞いたことはない。

そんなこと、知っても仕方がないし。


子供が治りさえすれば、

そんなこと、どうでもいい。

そんな人、どうでもいい。


でも、子どもの障害が治らなくて

それが、家族の人生に大きな影響を及ぼすから

そんな人に出会ってしまう運のなさまで

自分の毎日に、影を落としてしまう。


どうして出会えないんだろう。

どうして治らないんだろう。

どうして原因もわからないんだろう。


どうして、どうして、どうして

こんなにも運が悪いんだろう。

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往生際の悪い母親 [カナシミ]


新美南吉さんの童話「でんでんむしのかなしみ」では


でんでんむしが、自分の背中の殻に


カナシミがいっぱい詰まっていることに気付き


「もう生きてはいけない」とまで嘆く。


けれども、お友達のでんでんむし達も


みんな、同じようにカナシミを抱えているのを知って


嘆くのを止めた、とある。

    


  


「すごいね。えらいんだねぇ。」と思う。


本当に。嫌味ではなく。


なぜなら、私は大人なのに、


たぶん、ずっと嘆き続けるだろうから。


このでんでんむしのように、


お友達に会って、嘆いてみたり、


「どうしたらいい?」と尋ねることはないけど。



いつか、私が 嘆かなくなる時が来るとしたら、


それは、きっと


カナシミの原因がなくなる時。


つまり それは、薬か、治療か、他の何かで、


子供たちの障害が、体からなくなった時。


そして、子供たちが、多くの人と同じ程度に


この世で、思う存分、羽ばたける時。



私は、往生際の悪い母親だね。


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「でんでんむし」のその後 [カナシミ]


児童文学の名作「ごんぎつね」や「てぶくろをかいに」の

作者としてよく知られている新美南吉。



昭和10年に発表された全文カタカナの短いお話で、

眞子様のおばあ様にあたる美智子様が

紹介された童話ということでも、よく知られている。


    


新美南吉は、29才の時に結核で亡くなったという。

彼はどのような「カナシミ」と向き合って

この作品を、書き上げたのだろうか。



「でんでんむしのかなしみ」 新美南吉

一匹のでんでん虫がありました。

ある日、そのでんでん虫は、
たいへんなことに気がつきました。

「わたしは、今までうっかりしていたけれど、
わたしの背中の殻の中には 
かなしみがいっぱいつまっているではないか」
このかなしみは どうしたらよいでしょう。

でんでん虫は
お友だちのでんでん虫のところにやっていきました。

「わたしは もう 生きていられません」
と そのでんでん虫は お友だちに言いました。

「なんですか」
と そのお友だちのでんでん虫は聞きました。

「わたしは なんというふしあわせなものでしょう。
わたしの背中の殻の中には
かなしみがいっぱいつまっているのです」
と はじめのでんでん虫が話しました。

すると お友だちのでんでん虫は言いました。

「あなたばかりではありません。
わたしの背中の中にも かなしみは いっぱいです」

それじゃ しかたない と思って、
はじめのでんでん虫は、
べつのお友だちのところへ行きました。

すると そのお友だちも言いました。
「あなたばかりじゃ ありません。
わたしの背中にも かなしみはいっぱいです」

そこで、はじめのでんでん虫は
また べつのお友だちのところへ行きました。

こうして お友だちをじゅんじゅんに たずねて行きましたが、
どの友だちも 同じことを言うのでありました。

とうとう、はじめのでんでん虫は 気がつきました。

「かなしみは だれでももっているのだ。
わたしばかりではないのだ。
わたしはわたしのかなしみを こらえていかなきゃならない」

そして、このでんでん虫は もう なげくのをやめともたのであります。

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でんでんむしは、からだの成長と共に

背中の殻もだんだん大きくなっていく。


このでんでんむしは、

成長と共に大きくなるだろうカナシミを

こらえ続けることができるだろうか。


また、そのカナシミを小さくする術を

学ぶことができるのだろうか。

 


 



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「でんでんむしのかなしみ」 [カナシミ]

 


かなしみは だれでも もっているのだ。

わたしばかりでは ないのだ。
わたしは わたしのかなしみを

こらえていかなきゃ ならない。

 

新美南吉「でんでんむしのかなしみ」より


     

 


私は 子供たちに関する「カナシミ」を持っている。


でも、きっと、子供たちに それを明かすことはない。


もしも、私の「カナシミ」を 子供たちが知ると


子供たちも また、「カナシミ」を持つかもしれないから。


私は、私の「カナシミ」を、一生こらえていく。




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