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「普通の子供」に加えられた子供たちを思って [心の風景]

新型コロナウィルスの感染拡大で

再び、緊急事態宣言が出されていても

学校や放課後等デイサービスなどは、

今までどおり、あまり変わりなくやっている。


重症者数が過去最大とか、入院できないとか

そんなの、まるで、別の世界の話みたいで、

そこでは、「子供は大丈夫」という信仰を、

みんなで信じているような雰囲気がある。


「みんな、来てますよ。誰も感染してません。」

「前回の緊急事態宣言とは違いますから。」

「これは、不要不急ではありません。そうですよね。」

「どういう感染症対策をしたら、信用できるんですか?」

「子供は、滅多に重症化しません。世界中で確認されてます。」

「ニュースを見て、正しい情報と知識を持って下さいね。」

「子供にとって、感染より怖いのは、学びが遅れることですよ。」


そんな言葉を、強い口調で言う人もいるらしい。


医師の「コロナ感染は避けるべき」等の診断もないまま

「感染が怖いから、子供をお休みさせたい」と言い出すのは、

やっぱり、戸惑ってしまう人だっているだろう。


でも、今は、子供達が感染しにくいように見えるけど、

本当は、これも、「直ちに影響は出ない」とかいう

誰もよくわからない状態じゃないの? どうなのかな。


U一郎とO次郎は、一見、普通の子供と同じだけど、

体の細かい造りや、病気とか薬に対する反応などは、

普通の子とは、やっぱり明らかに違う。


「頭以外は普通」なんて言い方をする人もいるけど

この子供達は、全然そういう状態ではない。


そこは、「まだ研究されていなくて、わからない」部分で

病院では、特に「障害」とは判断されていない。


でも、この部分は、相手方の都合によっては、

他の子供と「明らかに区別される事情」にされたりする。


そして、どんな時でも「障害」と認められるのは、

2人の子供達の「考え方や行動」の部分。


そして、この部分の「障害」を持っているせいで、

2人の子供達は、本当にあらゆる場面において、

きっちり線引きされ、皆の邪魔をしないよう隔離される。


こんな2人は、このコロナの問題においては、

なぜか「普通の子供」として扱われている。

ま、そんなこと、どうでも良いほど忙しいのかな。



もしも、普通の子供が感染して、

後遺症などで、その言動とかに異常がでたら、

すぐ気づかれて、きっと大問題になるだろう。


でも、U一郎やO次郎が感染して、

後遺症などで、言動とかがもっと変になったとしても

それが、元々の特性なのか、コロナのせいなのか

きっと誰にもわからないだろうし、

どうせ、誰もあまり気に留めないんじゃないかな。


そして、やっぱりそれも、治せないのかも。


こんなこと、自分で勝手に書いているくせに、

なんだか、すごくカナシクなってきた。


もう、書くのはやめておこう。

 

   





共通テーマ:育児

先生、子供に学校を休ませてもいいですか? [心の風景]

2度目の緊急事態宣言が出たものの、

すぐに収束するような気配は見えないし。

医療関係者は、とても大変そうだ。


そんな不安が続く中で、

コロナ患者に対する「トリアージ」が提案されている

と、報道で知った。


「トリアージ」とは、

軽傷の患者や助かる見込みのない患者よりも、

処置すれば助かる見込みのある患者を優先するものだ。

その結果、平時なら助かった人が、死ぬ場合もある。


「命の選択」などと書かれていたりもする。


昨年の春頃、イタリアでは、

「80才以上の高齢者に対する治療を断念した」

というニュースを聞いたように思う。


誰かの「死」と引き換えに

自分の命を、つなぎとめる、というのは

あまりにも、重くてしんどい。


子供は感染しにくいし、重症化しにくいと聞く。


でも、もしも感染して、運悪く重症化して

トリアージの対象となり、

誰かの命と引き換えに、助けてもらったら、、

と思うと、息が止まりそうになる。


子供たちが、苦しい思いをして亡くなるのは

もちろん、考えられない。


でも、そんな風に助けてもらったとしても、

引き換えに亡くなってしまう誰かの命の重さに

十分に値するくらいにまで、

子供たちを社会で十分役立つように

私が、育て上げることができるだろうか。


「人は、別に、誰かの役に立たなくても

生きているだけで価値がある」


子供たちに障害があるとわかってから、

そんなことを、時折、言われることがある。


でも、命の選別が行われる際においても、

自分が、誰かと引き換えに死ぬことになっても

そう言える人は、どのくらいいるのだろう。


子供たちの障害は、子供たちの責任ではない。


そんな事態になるくらいなら、

知らない誰かではなく、私の命と引きかえにして

子供たちを助けてもらえないかと思うくらい

ものすごく、気が重くなる。


ただ、もしも、そうやって私が死んでしまったら、

子供たちは、一体どうなってしまうんだろうか。


けれど、そんなどうしようもないことを

いつまでも、ウツウツと考えるより、

子供たちが感染しないようにするべきだろう、、。


だから、重傷者数が、もっどもっと減るまで、

少し学校をお休みさせてみようかな、と思うのだけど、

こんな理由で休ませるのは、だめだろうか。


道徳の時間とか、いわゆる読書とかで、

こんなに苦しい思いで考えたこなかったな、と思う。

そういう意味では、子供たちの存在は、

私の心の経験値を高めて、少し成長させてくれた。


でもやっぱり、ちょっとしんどくて、とてもカナシイ。


     

   


   


共通テーマ:育児

緊急事態に取り残される側の人 [心の風景]

年明け早々なのに、また「緊急事態宣言」なのかと思ったら、

今度は、「緊急事態行動」だとか。


どちらにしても、私と子供たちの生活は

コロナ以前とは、たいして変わらない。


不要不急の外出は、する気もないし、できないし、

買い物とかを長時間するようなチャレンジは、絶対嫌だし、

三密みたいなトラブルの元は、怖くて参加できないし、

コロナが収束しても、しなくても、

私達のこの生活は、今まで通り、別に何も変わらない。


きっとコロナの問題以前から、

様々な場所で、いろんな緊急事態にはまった人達はいて、

それに巻き込まれてしまった人の中で、

そこから抜け出せる人と、ずっと取り残される人に別れるのだろう、



多くの人が、このコロナ禍から解放されて、

皆が外に出て、好きなように過ごせるようになっても

私達は、ずっと人目を避けて家に閉じこもるような

「取り残される側の人」なんだろうな、

と、少しうつ向いてしまう。



人は平等なんかではないし、

私には、この人生に意味を見出す力もない。


それでも、子供たちは、よく笑って過ごしている。

ケンカして、怒ったり泣いたりすることも多いけれど。




それだけでも、十分恵まれていると思うべきで

これ以上、欲張って、何かを求めてはいけないよ。




そう、自分に言い聞かせて、ひっそり過ごしている。


      

  




共通テーマ:育児

眞子様と小室さんから学ぶこと [心の風景]

眞子様と小室さんの姿勢を見ていて

少し考えてしまうことがある。



どれほど批判や助言をされても

自分の権利や考えを主張し続け、

あらゆるものを押し切って進もうとする

驚くべき強さについてだ。



普通、こんな状況に陥ったら

秋篠宮様くらいに憔悴するだろうし、

致命的なダメージを受ける人もいるかもしれない。


それなのに、眞子様と小室さんには

そのような気配があまり感じられない。

少なくとも、私には。


誰か、強力な後ろ盾でもいるのだろうか。

それとも、若さ故、絆の強さなのだろうか。



何にしても、このお2人の姿を見ていて

私も、子供たちのことについて

もっと強く出るべきだったのだろうかと

過去を振り返るようになった。



たとえば、それは、公園でのこと。

奇声をあげたり、問題行動があるため、

皆がいる時間に遊ばせるのは避けてきた。


でも、公園は皆のものなんだから

少しくらい遊具を長時間使い続けたりしても

しつこく欲しがって借りたスコップを

いつまでも返さずに使うようであっても

堂々と行って遊ばせれば良かったのだろうか。



それから、小学校の入学もそうだ。

普通級に入ることは、2人の権利なんだから

先生やクラスの子に迷惑をかけるとか

そんなことより、不運な2人の成長のために

何を言われようが普通級に入れてしまって

何が起きても居続ければ良かったのだろうか。



そして、もっともっと育児の大変さを訴え

ことあるごとに、誰かを頼って助けを求め

たとえ、その恩を返せなかったとしても

子供たちの笑顔を大事にすれば良かったのだろうか。



私は、子供たちが持っている権利を守り

あらゆる経験を増やして成長を促すことよりも

自分が「まともな大人」に見られたいために

子供たちの権利や機会を奪ってきたのかな。



もうちょっと、うまくやれば良かったのかな。

   

ごめんね、U一郎、O次郎。


  


  

 



  

  



共通テーマ:育児

眞子様の「お気持ち発表」で心が揺れた理由 [心の風景]

眞子様の「お気持ち発表」から

もう三週間くらいだろうか。


なぜか気持ちが揺れる日が続き、

ブログに何度も吐き出しては

自分の心を見つめなおし

心の落ち着きどころを探した。



そして、結局のところ私は

「眞子様の余裕」に

最も心を揺さぶられたのだと思った。




ある意味では恵まれた人が、

より恵まれた世界で

さらに華やかにやっていく姿ではなく、


どう見ても危うさを感じる状況に


前代未聞の反対を押し切って

「愛」とか「幸せ」を頼りに

まるでおとぎ話の主人公のように

自らを投げうとうとしている


  

その「不幸」を知らない若さに

「深いカナシミ」を知らない環境に

そしてその「余裕」を見せてしまう「幼さ」に


私は自分と子供たちの現在と将来を悲観し

1人で沈んだのだと思う。



これ以上、しんどいことや心配ごとを

一つたりとも増やしたくはない。

自らトラブルに関わって

感傷に浸ってみる余裕など

この先訪れることはない。


もっと大変な人や苦しい人が

頑張っているからといって


それを見習うべきとは思わないし

それが励ましになるとも思えない。




でも、きっと私だって

よくわからないままにした言動が、

誰かを深く傷つけてしまうような

そんな若い時期もあったはず。



今後、眞子様関係の報道からは

少し距離を置こうと思った。



 



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眞子様の「お気持ち発表」に気づかされた気持ち [心の風景]

眞子様の「お気持ち発表」に

なぜか大きく心を揺さぶられ、

少しずつ自分の心を探ってみた時

思い出したことがある。



以前、ある皇族の方が

知っている障碍者施設を訪問された。

たしか、「激励された」などと

報道されていたように思う。


当時から、うっすら違和感を感じていた。



この度の「お気持ち発表」によって

ハッキリと気付かされたのは、

「子供たちの関係する施設には来ないで」

「励ましも寄り添いも、別にいらない」

と思ってしまう私の心の在り様。




そんな風にしか思えない障害児の母の気持ちなんて

きっと、眞子様にはおわかりにならないだろうと

「お気持ち発表」から、私は勝手に想像した。


そして、勝手に深く沈んだ。




  



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眞子様のお相手のこと [心の風景]

眞子様の「お気持ち発表」を知り

深く暗い谷底に沈みこんだ。


少しずつ 自分の気持ちを探る中で


お相手の方が 法律事務所に属していて

この問題のために 弁護士を雇いながら 

海外で 法曹資格を志望していることが

私の心を 大きく揺さぶったように感じた。



法律的には 問題はないのだろうけれど

全体として 何か奇妙に感じる一連の出来事

身がすくむ思いがした。

 


2人の子供たちは 知的障害があるから

将来、成年後見や後見信託などで

弁護士や司法書士などの法曹関係者と

関わる可能性が高い。


そして、2人の子供たちは

生まれた時から 何しろ運が悪いから

志の高い法曹関係者には 

やっぱり 出会えような気がする。



コツコツ貯めたお金さえも

管理料の支払いなどで その多くを失い

親亡き後、哀しい末路をたどるのではないか

そんな不安が 心に大きく渦巻いた。



2人の子供たちが 

生きていくために必要な選択の場面で

法曹関係者とは関わるのは、イヤだ。


目を伏せ、唇を引き締めて閉じると、

喉のあたりが きゅっと固くなるのを感じた。





共通テーマ:育児

眞子様の「お気持ち発表」の何がきつかったのか [心の風景]

映画やドラマ、有名人の発言やスキャンダル・・


子供ができてから、見る余裕もない。


それでも、なんとなく聞こえてくる情報。


どれも 遠い世界のことで


何も感じたことがなかった。



それなのに、どうして


皇族の方(眞子様)の「お気持ち発表」に


こんなにダメージをうけたのか



まるで 怖いもの見たさのように 


そうっと そうっと 考えた。




気になった言葉を書き出してみた。




生きるために必要


結婚


障碍者施設訪問


お車代


弁護士


法律事務所


借金


返済しない





しんどくなってしまったので


今日は、もう書けない。







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