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2021年1月13日(水)の事件と被害 [事件と被害]

●午後4時

ベランダで、植木鉢を片付けていたら、

丸い黒いものが、土の上から飛び出していた。

「なんだろう?」とよく見ると、鉄玉のドラえもん!







以前、発達障害の子供に、鉄分が多少効果あると聞き、

わざわざ購入して 料理などで使っていたものだ。

最近、キッチンで見当たらず、探していたところだった。



土をはらうと、かなり黒ずんでさびていた。

肥料も入れていた土だったこともあり、

これは処分し、新しい鉄玉を購入することにした。


部屋に戻り、O次郎を呼びつけて、問いただす。

「この鉄玉を、植木鉢の土に埋めた?」


O次郎は、片足立ちで、もう片方の足を何度もふり、

両手はバラバラに円を描くように回しながら答えた。

「それはねー、バカ死あほのU一郎だよーん」


こういう時のO次郎は、あまりウソをつかない。

でも、U一郎に注意する気になれず、あきらめる。



●午後4時半

毎日、数回は見回って、必ず行うトイレ掃除。

床をチェックした後、ふと顔を上げ、トイレの窓をみると、

空そのものが、きれいに見える。


「・・え?」と思って、よくよく見ると

トイレの網戸が、完全にぶち抜かれていた。


ぶち抜かれた網は、どこへ行ったのだろう?

下に投げ捨てられたか、便器に流されたか。


「また、便器が詰まるかもしれない」と不安になる。

やっぱり、一応、管理会社に連絡しておくべきかな。


急に、右耳に耳鳴りが始まり、しんどくなったので、

あとで、考えることにして、ガラス窓を閉める。



●午後6時

キッチンの棚に、変なもの見えたので、近づいてみると、

3本のバナナに、へたくそな青い水玉模様がかかれていた。

皮をむいてみると、バナナ本体にまで青インクが染みていた。


この程度ですんで良かったと思いつつ、O次郎を呼びつける。

「食べ物で遊んじゃだめって言ってるでしょ」


「うっほほーい!ごめんなさーい!」

O次郎は飛び跳ねながら、素直にあやまった。

でも、まだしばらくは、やるかもしれない。



●その他 

もう、疲れて、思い出しなくない。

  


    


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さようなら、みんな。ありがとう。 [カナシミ]

コロナ禍での、初めての年賀状。


年末に書いていた時、

相手の状況を想像して、どう書いたらよいのか、

いろいろ 考える機会があった。


その時、思いついたことがある。


最近は、とても高齢の上司や先生などが、

「年もとってきたため、年賀状はこれで失礼します」

と書かれた賀状もあったので、

「私も、この年賀状で、みんなとさよならしよう」

と、ひらめいたのだった。


子供たちの障害のことは、友人や知人に全く話していない。

「どうしようかな、なんて言おうかな」と思う中で

同窓会や、家族連れでの食事会などが、

昔の仲良しメンバーもいる様子で開かれていた。


どれに参加するにしても、

「みんなに、気を遣わせてしまうかな」、とか

「向こうも、きっと困るだろうな」、とか

あれこれ考えるだけでなく、

実際問題、U一郎とO次郎を連れて行くことは

ほとんど 不可能に近い状態だった。


だから、いつもいつも、

「子育て中で、忙しい」、とか

「仕事がある」、とか

ちょっとごまかして、スルーしていた。


でも、「それって、いつまで続けるのかな」って

ずっと、なんか気にかかっていて

そういうのも、なんだか嫌になっていた。


そこで、今回の年賀状には、

とても親しかった相手だけ、子供の事情を簡単に説明した。

そして、それ以外の人には、「一身上の都合」と書いて、

全員に、今までのお付き合いにお礼をして、

今後は、静かに自分達の生活に入ることを書いた。

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お正月を迎え、驚いてメールや電話をくれた人もいる。


「何かできることがあったら、力になる」と

言ってくれたすごい人もいた。

  

でも、皆に、しばらく静かに過ごしたいことを伝え、

これから先、もう 約束をして会うつもりはないことを、謝った。


仲の良かった友達が、電話口で泣き始め、

なんだかよくわからないままに、私も泣いてしまった。


幸せで楽しかった時間を 思い出した。

そして、U一郎とO次郎には、

そんな思い出は、きっと、できないだろうことを

本当に とてもカナシイと 思った。


その後、携帯電話の番号とメールアドレスを変更した。

これは、思ったよりも、大変で面倒な作業だったけれども、

想像していた以上に、気持ちがすっきりして落ち着いた。


想い出は、想い出のまま、ずっときれいに残したい。

そして、私は、もっとU一郎とO次郎に向き合って、

人生の最期に向かって、しっかりしないといけない。


楽しかった。ありがとう。元気でいてね。                

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壊されていく自分を見つめる(4) [自分のために]

U一郎とO次郎は、毎日、あらゆるものを壊し続ける。


私は、自分が十代のころに比べると

はるかに、気が回るようになり、

できることも、とても増えたと思う。


でも、そのくらいでは、全く太刀打ちできないほど

子供達は、毎日毎日、飽きもせずに

私が、家族のために、2人のために、準備したものを

全て打ち砕いていく。


「賽(さい)の河原って、こんな感じなのかな」

そんなことを。何度も思うようになった。

    stone-1340772_640.jpg

怒る気力も、叱る勢いも、どんどん先細りし、

ダイエットの必要が全くないほどの体型にまで痩せ、

何か買いたいとか、何か欲しいとかの気力がなくなった。


欲望がなくなるのは、楽だけれども

あちこちにできているケガが、いつも痛み

若い頃には感じなかった体の不調が、影を落とす。


潰されても、潰されても、潰されても

這い上がって、立ち上がり、前を向く人もいる。


私にそれができないのは、情けない人間だから。


こんな生活から逃げ出したいと思っているのに

ご飯をちゃんとやって、育てているのは、

子供たちへの愛情や同情が深いからではなく、

単に、私の逃げ足が遅いからだろう。


どうしようもない、この毎日が、とても嫌で

そこにはまり込んでいる自分はもっと嫌なのに

明日も明後日も、ここにいるんだと思う。


それは、本当に仕方ないのかな


   








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あの時の理由を知ることで [教訓の泉]

異なる時期に生まれたU一郎とO次郎なのに、

2人とも同じことで、問題を起こすことがある。


その一つが、おむつ替えだった。


小さい頃、U一郎とO次郎は、

おむつ替えの時に、どちらも本当によく泣いた。


その泣き方は、普通の泣き方ではなく、

近くにいる人達が、みな一斉に振り返ったり、

「どうして、こんなに泣いているんですか?」と

知らない人に、怪しまれたりした。。


また、泣いている子供のそばに、いろいろな人がやってきては、

歌を歌ってくれたり、笑ってあやしてくれることもあったが、

どれもこれも、逆効果だった。


子供たちは、火災報知器のようにもっと激しく泣き出し、

結局、泣きやまそうとしてくれた人が

私の育て方に問題があるような言い方をして立ち去ったりして。


私は、時々、体にじんましんが出てしまうようになった。


今でも、その時のことを思い出すと、

体に違和感を感じたり、数十秒くらいの軽い耳なりがしたりする。


O次郎が、「オムツのCM」を見ながら踊っていた時に、

返事を期待する気もなく、ため息まじりにつぶやいた。

「O次郎は、おむつ替えで、どうしてあんなに泣いていたのかな」


すると、O次郎は、ちょっと笑いながら、あっさり言った。

「それはねー、おむつをベリベリッって剥がす時の音が怖かったんだよ。」

「あとねぇ。ビリビリッて破く音もして、皮膚が破られそうな気がしたんだ。」

「アー、あれホント怖かったなー。」



私にとっては、何もかもが衝撃的で、

しばらく座ったまま、立ち上がることもできなかった。


今、ものすごく悩んでいることや困っていることも

いつか、もしもその理由が分かったなら、

こんな風に、気が抜けるくらい安堵できるのかもしれない。


言葉が話せることや気持ちが伝えられることって

ものすごく重要に感じた。



今日は、久しぶりに、深く眠れそうな気がする。 


     


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先生、子供に学校を休ませてもいいですか? [心の風景]

2度目の緊急事態宣言が出たものの、

すぐに収束するような気配は見えないし。

医療関係者は、とても大変そうだ。


そんな不安が続く中で、

コロナ患者に対する「トリアージ」が提案されている

と、報道で知った。


「トリアージ」とは、

軽傷の患者や助かる見込みのない患者よりも、

処置すれば助かる見込みのある患者を優先するものだ。

その結果、平時なら助かった人が、死ぬ場合もある。


「命の選択」などと書かれていたりもする。


昨年の春頃、イタリアでは、

「80才以上の高齢者に対する治療を断念した」

というニュースを聞いたように思う。


誰かの「死」と引き換えに

自分の命を、つなぎとめる、というのは

あまりにも、重くてしんどい。


子供は感染しにくいし、重症化しにくいと聞く。


でも、もしも感染して、運悪く重症化して

トリアージの対象となり、

誰かの命と引き換えに、助けてもらったら、、

と思うと、息が止まりそうになる。


子供たちが、苦しい思いをして亡くなるのは

もちろん、考えられない。


でも、そんな風に助けてもらったとしても、

引き換えに亡くなってしまう誰かの命の重さに

十分に値するくらいにまで、

子供たちを社会で十分役立つように

私が、育て上げることができるだろうか。


「人は、別に、誰かの役に立たなくても

生きているだけで価値がある」


子供たちに障害があるとわかってから、

そんなことを、時折、言われることがある。


でも、命の選別が行われる際においても、

自分が、誰かと引き換えに死ぬことになっても

そう言える人は、どのくらいいるのだろう。


子供たちの障害は、子供たちの責任ではない。


そんな事態になるくらいなら、

知らない誰かではなく、私の命と引きかえにして

子供たちを助けてもらえないかと思うくらい

ものすごく、気が重くなる。


ただ、もしも、そうやって私が死んでしまったら、

子供たちは、一体どうなってしまうんだろうか。


けれど、そんなどうしようもないことを

いつまでも、ウツウツと考えるより、

子供たちが感染しないようにするべきだろう、、。


だから、重傷者数が、もっどもっと減るまで、

少し学校をお休みさせてみようかな、と思うのだけど、

こんな理由で休ませるのは、だめだろうか。


道徳の時間とか、いわゆる読書とかで、

こんなに苦しい思いで考えたこなかったな、と思う。

そういう意味では、子供たちの存在は、

私の心の経験値を高めて、少し成長させてくれた。


でもやっぱり、ちょっとしんどくて、とてもカナシイ。


     

   


   


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障害のある子供の命の値段(2) [放課後等デイサービス]

障害のある子供が、

自宅、学校や施設から、或いは、外出先で

行方不明になってしまうことはある。


障害児の行方不明(見失い)は、

放課後等デイサービスや移動支援に限ったことではない。


日本全国で考えると、

週に2~3人以上は、そういう子供が行方不明になり

警察に通報されているのではないか、という話も聞く。


行方不明の子供を見つけるまでに、長い時間がかかると

最悪の結果を招く可能性も高くなるだろう。


少し前にも、報道された事件がある。



2015年、東京都八王子市にある障害者の福祉施設から

重度の知的障害者の少年(15才)が行方不明になった。


この少年は、その2カ月後、

高尾山麓の沢で、帰らぬ人となって見つかった。


この施設は、少年が行方不明になった責任を認め、

慰謝料として、2200万円を払う姿勢をみせたらしい。


でも、この施設は、

少年が将来働いて得られるはずの収入(=逸失利益、ただし生活費は除かれる)は

なかっただろう、と考えて、

少年の両親に、逸失利益を支払わないつもりだった。


少年の両親は、

「逸失利益がないとするのは、『命の価値がない』とするのと同じだ」

という考えから、

少年の逸失利益を求めて、裁判所に訴えた。


そして、2019年、東京地方裁判所は、

基礎収入額を、「19才までの健常者の平均賃金」として計算し

総額 約5200万円(その内、逸失利益は約2240万円)の支払いを

施設側に命じた。



近年、未成年者のこのような事故において

障害児の逸失利益を認める判決などが出ている。


この判決では、

この少年が就労できる年齢(18才)までに3年しかなかったことや

障害者が、能力を発揮して働ける労働環境が社会に整備されていないこと等が

判断の事情として考慮されたのだろう。


だから、この少年の障害が少し軽くて、もっと年齢が低かったら、

基礎収入額が、「19才までの健常者の平均賃金」ではなく

もう少し高額になった可能性もあるだろう。


では、もしも、この少年に障害がなかった場合、

逸失利益は、いくらになったのだろう。


全年齢平均賃金を基礎収入とし、それ以外の条件を同じと仮定すると、

逸失利益は、約5160万円(総額 約8400万円の支払い)になる。


つまり、この少年は、その障害があったことによって、

逸失利益は、たぶん約2900万円ほど、低くなったのだろう。


けれども、裁判で、逸失利益を決める場合には、

被害者が、たとえ健常者であっても、

その個人の特性や可能性を考慮される。


そう考えると、少なくとも、

「障害者だから、逸失利益はない」と簡単に決めつけるのは、

今後、一般的に許されなくなるかもしれない。



でも、亡くなった少年が、失ってしまったものは、

逸失利益で表された金額のお金ではなくて、

その後、生きて過ごせたはずの人生全部だ。


少年が住んでいた施設は、高い塀に囲まれていて、

部屋や施設の出入口には、監視カメラだけでなく、

鍵も設置されていたと聞く。


この少年は、本当は、どんな人生を送りたかっただろう。



そして、U一頭とO次郎は、どんな人生を歩みたいのだろう。


私の人生は、どうしたらいいのだろう。



      


    









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障害のある子供の命の値段(1) [放課後等デイサービス]

新型コロナウィルスの感染者が爆発的に増え、

2度目の緊急事態宣言が出ると報道があったため、

子供たちが通っている放課後等デイサービスに

「今週の金曜日は、お休みします」と連絡した。


欠席の理由に、こんなことを話した。


もちろん、子供たちを、感染させたくないのが一つ。

2人ともアレルギーがあり、どういう症状がでるか怖い。


それに、もし感染した時、昏睡状態などでなくて、動き回れる状態だと、

子供だけで入院なんて、普通にできるとは思えない。

日本中がコロナで大変な時に、病院のスタッフや患者さんに、

一体どんな迷惑をかけてしまうのだろうか。

想像しただけで、恐ろしい。

結局、コロナ以外のことで迷惑をかけてしまう子供たちは、

やむなく鎮静剤などを打たれて、

さらに、その副作用で苦しむのではないだろうか。


また、もし私達親に感染した場合、子供を見る人がいない。

いろいろ問題を起こす子供たちだし、もう幼児ではないから

私達親の兄弟や親せきには、とても頼めない。


そういう場合は、児童相談所に一時保護されるらしい。

そうなると、おそらく子供の居場所は教えてもらえなくなり、

子供と電話で話すこともできなくなるという話をきいた。

そういうのは、親として、当然、避けたい。



放課後等デイサービスのスタッフは、

「なるほど、なるほど。」と話しを聞いてはくれたが

その後、続けざまに、こんな提案をしてきた。

「他の曜日や時間も、少し空きが出たので、そっちなら来れませんか?」

「知っている移動支援のスタッフに余裕が出たので、

移動支援を利用して、通所すると、自立の訓練にもなりますよ。」


移動支援というのは、自分だけで移動するのが困難な人に付き添い、

ある場所から目的地までサポートしてくれるサービスだ。


でも、U一郎もO次郎も、かなりの早さで動き回るADHDなので、

特に外では、一瞬たりとも目を離すことはできない。

だから、私は、いまだに2人に「迷子ひも」を使ったりする。


けれど、移動支援では、身体拘束である「迷子ひも」は使えず、

せいぜい手をつなぐことくらいしかできない。


「2人ともきっと迷子になるから、移動支援は使えないです、、」

と言うと、そのスタッフはこう返答した。

「迷子なんてならないですよ。それに、日本の警察は優秀だから」


時間もなかったので、もう話を終わらせることにした。

「じゃぁ、考えておくので、金曜日は欠席でお願いします。」

すると、何か勘違いしたような明るい声で言われた。

「ありがとうございます!」


子供たちの価値や安全が、軽んじられているように感じて、

ちょっと悲しく、そしてしんどくなってしまった。

 


  


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壊されていく自分を見つめる(3) [自分のために]

私が、もう疲れ切ってしまった原因は、

U一郎とO次郎のそれぞれのことだけでなく、

問題を次々に生み出す2人が合わさって

毎日の生活を圧迫するせいだと思う。


「世界中の物は、全て自由に使っていい」

U一郎とO次郎は、生まれた時からずっと

なぜかそんな風に思い込んでいて、

何度言っても、その考えを改めない、



2人とも、基本的に「人」に関心がなく、

モノの所有者や、その所有者の気持ちなんて

考えが及びもしないのかもしれない。


毎日毎日、O次郎は、

自分の思うままに、あらゆる物を勝手に使い、

自分の目的のために別の場所に移動させ、それを壊し、

最終的には、置きっぱなしにして紛失する。


そして、そのことで叱られて泣くことになっても

その数秒後には、もう平気でケロッと笑っていて、

それが、さらに相手を激怒させてしまう。


そして、毎日毎日、U次郎は、

まるで遊病のように歩き回ったついでに、勝手に物に手を出し、

別に目的もなく、ただなんとなくいじって壊し、

バラバラにして、その辺に投げ捨てて立ち去る。


この時、U一郎が何かを思い立って

トイレや洗面所などの排水口に、その壊した破片を投げ入れたり、

ベランダや誰かのカバン、ポケット、炊飯器などにいれたりして

さらに、大きな問題を引き起こすこともよくある。


これらは、何も家に限ったことではなく、

外出先でも何度も起こしている。


そのため、基本的には、二人から目を離してはいけない。

けれど、やっぱり目を離してしまうこともあって

月に数回は、他人に謝罪をすることになる。


物を勝手に使い、壊し、それを投げ捨てなり、失くし

そして、そういうものをあちこちにまき散らして

それらを片付けることさえしない。


こんな出来事が絶え間なく続くことから

少しでも抜け出したい。






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